気配の窓

久々のUP、写真だけですが、、。
大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ:ボルタンスキー+カルマン 「 最後の教室 」

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越後湯沢への旅行がてら、越後妻有アートトリエンナーレ2009 に1日だけ足を運びました。
平日の為、シャトルバスなどの足がないので、ツアー(南回りコース2)に参加して来ました。
ツアーは思っていた以上に沢山の作品を見学する為に、慌ただしい一日となりましたが、
お目当てのボルタンスキー「最後の教室」は、比較的ゆっくりと見ることが出来ました。
山間の道を行くと、坂の下に現れた旧東川小学校は、まさに廃墟という言葉が似つかわしい佇まいで、
中に展示されている作品を、その外観からも暗示しているかのようです。
体育館への入口を抜けると、藁の香りが立ちこめる中に、ベンチの上で沢山の扇風機が宙を仰ぎ
目的を失ったかのように空中に向かって風を送っていました。
薄暗い中、壁面一杯に映る虚ろな光、宙づりの電球。
かつてそこに居たであろう子供達が、風を巻き起こして走り抜けていた場所。
どこか、牧歌的な雰囲気を漂わせたノスタルジックな空間は、奥の通路から様子を一変させ始めます。
子供たちの居なくなった空間に残された夢と記憶。
「人間の不在」をテーマにした クリスチャン・ボルタンスキーとジャン・カルマンによる
旧小学校全体を使用した壮大なインスタレーション。
アクセスの悪い場所にあるので、行くのは大変ですが、一見の価値があると思います。
大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2009 9/13まで開催中
秋にもまた小規模なアートイベントがあるそうです(詳細は不明)
追記:バスツアーのボランティア「こへび隊」のガイドさんがとても丁寧に案内をしてくれました。(ありがとうございました。。)
小さきものたち

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人は大きなものを前にした時に感動する。海の真ん中で水平線が360度ぐるりと繋がった時、
グランドキャニオンの雄大な風景を前にした時、万里の長城を前にした時。
しかし、万里の長城の大きさだけに感動している訳ではない、大きなものが小さいものによって
積み上げられたことにこそ、より大きな感動があるように思う。
また、宇宙の大きさだけに無限を感じている訳ではない。その大きさに対して、自身の小ささに
想いが至った時に、その対比におののくのではないだろうか?
分かりやすさの背後へと押しやられてしまった、密やかな何か
言語によって切り捨てられてしまった、言葉にならない感覚
技術によって忘れ去られてしまった、情報化されないものたち
大切なものは、大きなものによって隠された小さなものの中にこそある。
かそけきもの、見えないもの、隠されたもの、掴めないもの、私達の存在の様にはかないもの。
その様な小さなものの中にこそ、かけがえのない何かは宿っているのではないでしょうか?
また、その様な、小ささそものを見つめてみたいと思うのです。
