セザンヌとタゴール

セザンヌ

年末にポーラ美術館でセザンヌの静物画をみる機会があった。
絵の前に立つと、すぐにはその場を離れられないような感じがして、しばらく絵を見続けていると、
不自然に見える部分が、ある瞬間にとてもリアリティーをともなった存在に見えることある。
それは、物質的なリアリティーではなく、セザンヌと言う画家の視覚(思考)がそのまま定着したような、なにか執念のような頑強さで塗り固められているようだった。

そして、わたしの目の前には「見る」と言う事を突き詰めた人の絵がある。

With the colour of my own consciousness
The emerald became green, the ruby became red.
I opened my eyes at the sky,
And there was light In the east, in the west.
I looked at the rose and said,`Beautiful!'
Beautiful it became.

インドの詩人タゴール、その言葉を通してセザンヌの絵画を見るとき、見えなかった輪郭がありありと浮かび上がる。難解と言われるセザンヌの絵画だが、「見る」と言う事の困難さに向き合ったとき、
あるいは「見る」ということの向こう側に思い至ったとき、セザンヌが描こうとした何かに、一瞬触れる事が出来る様な気がする。
絵を前にして感じるなにか、それが正しいとか正しくないとかは問題ではなく、
そこから何を感じるのか、その「見る」行為は無意識に眠る感覚に向き合うことでもある。

「私の意識を通してエメラルドは緑となり、ルビーは赤となる。」

その言葉がセザンヌの絵を通過してより鮮明にわたしの心に響いてくる。

comment

comment fome

管理者にだけ表示を許可する

track back

Powered by FC2 Blog
Copyright © mizuiro design Inc. All Rights Reserved.
GraphicWebArtGUIDesign