味覚と感覚:あるような、ないような。

味覚と感覚

豆腐の味わいにしても、枇杷のそこはかとない甘みにしても、
梨のあるような、ないような味も、どこか捕らえどころがないように思う。

残暑の残る秋の空の下で、良く冷やした梨を頬張るときに、瑞々しさとうっすらと広がる甘み、
あるいは、あけびを口に含んだ時の、何とも言えない曖昧模糊とした味わい。
そこはかとないもの、脆いもの、儚いものを愛おしむ感性に日本的なるものを感じてしまう。
蕎麦につゆを付けずに蕎麦本来の味を楽しむのが粋とされる様に、
本来的に私たちの感覚が、微細な方向へとむかって行った背景には、
味覚が少なからず関与しているのでは無いかと思われる。

何も無いなかに、微細な変化を配置することで、空間のダイナミズムを生み出してきた茶室にしても
絵画や文学の余白や余韻を味わう美的感覚にしても、そこに有るものよりもむしろ、
ない状態や欠落していることで膨らむ想像の方に重きが置かれている。

味覚の微細性もまた、あるような、ないような、ほのかな風味を味わう事で
その感覚の領域を広げていると言えるのではないだろうか?

あるような、ないような、その境界の向こう側に、感覚の広大な未踏の地が広がっている。

comment

ふぇりち~たさん、コメントありがとうございます。
四季があるのは、いいですよね。移ろってゆくことに、なにか感じ入るものがあったりします。移ろって留まらない感じを日常感覚の中にみんな持っているのでしょうね。
そういう感覚は大切にしたいですね。
遠い昔・・・四方を海に囲まれた日本人が、
刺身(生食)をおいしいと見い出した微細な味覚の感覚も、
四季を楽しみ、時の流れを感じようとした感性の細やかさは、
日本人ならではだと思うことがあります。。
曖昧さを否と決め付けない美意識や微細な感覚は、受け継がれていってほしいものですね。。

comment fome

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