土偶:祈りのカタチ

国宝縄文のヴィーナス

しばらく前に、東京国立博物館へ「国宝土偶展」を観るために足を運びました。
そんなに人出は無いだろうと思って会場に向ったのですが、なかなかの盛況で静かに土偶と向かい合うという訳にはゆきませんでした。

まず、展示会場に入ってすぐの場所に、縄文早期の土偶が展示されていました。
頭、胴体、手、足、乳房と非常に単純な造形のわずか4センチ足らずのとても小さな、そして素朴な土偶。

指先で小さく作られた形は、手仕事の合間にふと手が遊んで思いを形にしたのか、
深く閉ざされた雪の中で春を待つ様な思いで作られたのか?

もちろんその詳細を知る由もありませんが、
思いがそのままカタチになっていることだけは見て取ることがでました。
その造形を見て強く感じたのは、子孫繁栄の思いもあるでしょうが、出産に対する無事への願いが込められているのではないかというでした。
カタチの中に込められた、無事を願う思いは祈りそのものではないでしょうか。
その、祈りの強さが土偶のカタチに現れていて、そこに縄文時代に生きる一個人の心の震えの様なものを見た気がしました。そして、それは時代を遡るほどに強く現れていように思うのです。
縄文晩期の、あの宇宙人の様な形をした遮光器土偶の緻密な造形や不思議な形には驚かされますが
初期の土偶の中にある、心の震えの様なものは時代とともに薄れて形式(スタイル)の中に埋没し薄れていってしまうように感じるのです。

「国宝土偶展」には展示されていませんでしたが、さらに時代を遡ると人のカタチが薄れ、十字の中心に窪みを作った、より抽象的な人型が土偶の最も初期のカタチとされています。
一般的な説では土偶は魔除けなど信仰の対象として作られたとされていますが、本当のところはまだはっきりとはわかっていないようです。

また、その分からないことこそが想像力をかき立て、遠い時代へと私達をいざなうのです。
答えの無い未知へと向き合う時に私達は対象に、そっと心を添わせる事で何かを感じ取る事ができるではないでしょうか?もしかすると自分の先祖だったかも知れない誰かが作った土の塊を通して時間も空間も越え、その人の心に触れる事ができるのです。

そして、作り手の思いを見い出したとき、そこに込められた何かによって私達の心へと響くのです。
その込められた祈りこそがモノに命を与え、存在の強さを生み出しているのではないかと思うのです。
私達が普段何気なく手にするモノの中に、なにか感じ入る事があるとするならば、それは作り手の祈りの様な心の動きを無意識に感じ取っているのかも知れません。

※写真は「国宝縄文のヴィーナス」のフィギア

comment

おひさしぶりです~
土偶展いってきたんですねぇ
私は、遠方すぎていけそうもなかったので、図録だけ取り寄せました。本物の土器や土偶を前にすると、ビュンビュンと飛び交うようなエネルギーの交錯を感じますよね。
骨董市ネットギャラリーさん
遅くなりましたが,コメントありがとうございます。
骨董の世界も楽しそうですね。 ^ ^
こんにちは

素敵なブログの記事で、ゆっくり読ませて頂きました。
手仕事や作り手の想い、感じますね。
また、遊びにきます。

comment fome

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