瞑想の空間

石庭

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4月の初め頃に京都に行った時のことです。(改めてUPしました)


はらり、はらり、と桜が散っていた。
ここは龍安寺の石庭。白い砂利(白川砂)が敷き詰められ、所々に島のように石が置かれている。
実際に来てみると、想像していたよりも随分と小さい。なんとなく「あれ?」と思ってしまう。
TVCMなどのイメージから、実際に見るとがっかりする人も多いのではないかと思う。
私の横でも「どこがいいのかさっぱり分からんなぁ、、。」と年配の女性が連れの方に小声で漏らしているのが耳に入ってきた。事実、その昔は石庭より、池の方が人気があったそうだ。
白くて整然としているという意外は、一見しただけでは、退屈この上ない庭なのは間違いない。
塀の向こう側の桜が美しく咲いているが、それ以外は取り立てて面白いものがある訳でもなく、
池も無いし、風に揺れる草もない、有るのは身動き一つしない石ばかり。そのように静止した庭に、
いわゆるところの面白みがあるはずが無い。なので、「さっぱり分からん」というのは的外れではなく
いったって素直な感想だと思った。

しかし、そこで諦めてしまっては、ここまで足を運んだ甲斐がないので、
ここはひとつ、じっくりと、庭を見つめてみることにした。
もちろん、じっと見つめてみても、庭は静止したままなのは変わらない。
突然、無限の広がりが目の前に現われる訳ではない。石庭の白砂が海に見え始める訳でもない。
だが、座って見続けていると、不思議と狭さは感じなくなってくる。
空間は白い砂利の平行線が手前から奥に向って続くことでパースペクティブを強調するように作られている。
自然にこのようになっている訳ではなく、誰かが、禅の修行の為に意図的に空間をつくっているのだ。
そして、ゆっくりとその空間の仕掛けが効き始める。

動きの無い空間に身を置く事で、外から来る動きが強い印象を持ち始める。
急に時間が引き延ばされたように緩やかに感じられる。
風に吹かれ舞落ちる桜の花びらが、まるで止まった時間の中を散っているようだった。
また、春先なので羽虫もやってくる。その、小さなものが生き生きとした表情をもった存在として強調されて見えるのだ。

そして、さらに時間がたつと、庭自体に動きがないことで、こちらの想像が動き始める。
空っぽの庭は、イメージへ向けて飛び立つ滑走路になる。
その時、そこは海にも砂漠にも、別の惑星にもなり得る。
しばらく、ここに身を置くだけでもそれだけのイメージの跳躍があるのだから、何年も修行をすれば
それこそ、無限の広がりを自身の内側に見いだすことになるのだろう。
この石の庭が荒れ狂う厳しい海にも、穏やかな波一つない湖面にも見えることもあったのではないだろうか?そして、一年を通して変わらない空間に、一年を通して変わって行く自身の心を映し出すこともあるのだろう。
庭が止まり続けることで自身の心の方が動くのだ。

なんと良く出来たしつらえなのだろう。
ここは、まさに瞑想の為の空間であり、創造性への入口として機能する装置なのだった。

comment

tokoさん、お元気?
龍安寺でお昼寝っていいね。
境内の湯豆腐屋さんにも寄ったんだけど
そちらも良かったですよ。
October Babies boysの皆さん、
お寺巡りとは、なかなか渋いですね~。ふふふ。
龍安寺、去年行ったの。
なんでもOctober Babies boysの
一番のお気に入りのお寺だったそう。
そうそうちょっとお昼寝もしたよ。
桜だね~!
satoruさん、こんばんは。
そうですね。結構近くまでいったのですが、、。
もう少し西にも行きたいですね。
そのときは、宜しくお願いします!
あら、西日本にいらしたのですね。
もう少し西まで足を伸ばして頂ければ、
お逢いできましたが・・・。

comment fome

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