書体散策:CaslonとCaslon

Caslon

書体散策シリーズの2回目はCaslonを取り上げてみたいと思います。
書体についての文献を調べるのがなかなか大変なので、随分と間が空いてしまいました。

先日、エキュート立川にあるベーカリー・カフェ Caslonに行って来ました。
こちらのお店のCIなどのデザインはDRAFTが手がけていて、とても素敵です。
そして、お店名前の「Caslon」のロゴには、もちろん Caslon の書体が使われています。
Caslonには随分と沢山の書体がありますが、こちらは Caslon 540 を使用しているようです。

Caslonはイギリスの代表的な書体の一つで、
1772 年にWilliam Caslon(ウィリアム・カスロン)が「Caslon old face」をデザインしています。
ベネチアンスタイルのローマン体を母体にした書体でオールドスタイル・ローマン体に分類されます。
オールドスタイル・ローマン体は、15世紀~17世紀にかけて作られた、手書きの特徴が残った優雅で風格のある品位を感じる書体です。
他にオールドスタイル系では、GaramondやCentury Old Styleなどがあります。

元々、Caslonという名は書体に付いていなかったそうですが、後世に作者の名前を冠したようです。
そして、そのオリジナルの金属活字を元に色々なCaslonと名前の付いた書体が作られて来ました。
Caslon 540 もその様な書体の一つで1902年にAmerican Type Founders社というアメリカの会社で作られた見出し用の書体です。同じく見出し用書体の Big Caslon よりも洗練された感じがしますね。
ファッション紙などで良く使われているようですので、目にする機会も多いかと思います。
自分の覚え書きの様な文章になってしまいましたが、書体についての物語を知ることで、文字に対しての扱いをもっと丁寧にして行かなければいけないなぁと思ったりしています。

そして、ベーカリー・カフェ Caslon に話を戻しますが、パンは天然酵母なのにとってもフカフカで、酸味も無くとても美味しいです。書体にちなんでいるわけでは無いのですが、イギリスパンがおすすめです。


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佐藤万絵子:うけとめるひとのいるところ

展示風景-1

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遊工房アートスペース佐藤万絵子さんの展示を見に行って来ました。
2階の外光に溢れた空間で作品は展示されていました。
会場で制作を続けることで、日々刻々とカタチを変えて行くインスタレーション。
展示空間自体を絵の中として、オイルスティックを手に「絵のなか」の世界へと果敢に挑んだ痕跡が
圧倒的な空間を生み出していました。

「絵のなか」と言う作家の言葉は、比喩的な事ではなく、実際に絵の中へと自身を同化させるように
して、そこから見た風景のことを指しているのだそうです。

以前、佐藤さんに譲って頂いた絵を部屋の壁に掛けた夜のことを思うと、
私にはその「絵のなか」という言葉が真実以外のなにものでもないのだろうと思えるのです。
その夜、壁に絵を掛けて、深夜机に向って作業をしていると、私の背後に飾られた絵から
なにか、とても強い雰囲気が立ち上がり、部屋の中に「絵のなか」の世界が流れ込んでくる感じがしました。
部屋のなかは「絵のなか」の気配に満ち、そのまま絵の世界へと迷い込んで行ってしまう様な感覚に包まれていました。
それは、錯覚に過ぎないのかもしれませんが、作家の見た世界を一瞬垣間みたような気がしたのです。

展示されているのは、作家の見る「絵のなか」のほんの一部で、それは終わることの無い試みなのかも知れません。そこに広がる風景は目の前にありながらも、想像力の翼では届かない、近くて遠い場所にあるかのようです。「絵画」という深淵の前に立ち、残された痕跡を手がかりに、その表現の向こう側にある、純粋な何かに静かに向き合ってみたいと思うのです。

※写真は許可を得て掲載させて頂いています。佐藤さんありがとうございます。

薔薇の香りと記憶

薔薇の香りと記憶

「薔薇の匂いを嗅いで過去を回想する場合には、薔薇の匂いが与えられたことによって過去のことが
 連想されるのではない。過去の回想を薔薇の匂いのうちにかぐのである。」

とアンリ・ベルクソンは言っている。
なんとも詩的で、ドキッとするような言い回しだろうか。
ニュアンスとして納得はするが、「過去の回想を薔薇の匂いのうちにかぐ」とは一体どういう事なのだろう?

誰しも、ある「匂い」を嗅ぐと特定の「記憶」が想起されるという経験があると思う。
その様なことに対して、それは脳の仕組み上「匂い」を感じる回路と「記憶」の回路が隣接している為に「匂い」と「記憶」の関係性が強い結びつきを持っていると言う事を「知識」としては知っている。
メカニズムとして知らなくても、「あぁ、そういう事あるね。」と納得はするのではないだろうか。

しかし、その知っているという「知識」や「了解」が、本来の「匂いを嗅ぐ」とう事の可能性を
閉じてしまってはいないだろうか? 事実、わたしがこの言葉にドキッとさせられたのは、そのことだった。
自分の中で、「匂いを嗅ぐ」とう事の可能性がどれほど限定されてしまっているかを痛感させられ、
なにも「見ていない」自分をそこに発見することになる。
もちろん、ベルクソンと自分とを比較するのはなんとも無茶なことだけれど、
「匂いを嗅ぐ」という行為においては、そこに差があるわけではないだろう。

そして、その言葉の中になんとも甘い「知」の香りを感じて、思わずため息をつくのでした。

セザンヌとタゴール

セザンヌ

年末にポーラ美術館でセザンヌの静物画をみる機会があった。
絵の前に立つと、すぐにはその場を離れられないような感じがして、しばらく絵を見続けていると、
不自然に見える部分が、ある瞬間にとてもリアリティーをともなった存在に見えることある。
それは、物質的なリアリティーではなく、セザンヌと言う画家の視覚(思考)がそのまま定着したような、なにか執念のような頑強さで塗り固められているようだった。

そして、わたしの目の前には「見る」と言う事を突き詰めた人の絵がある。

With the colour of my own consciousness
The emerald became green, the ruby became red.
I opened my eyes at the sky,
And there was light In the east, in the west.
I looked at the rose and said,`Beautiful!'
Beautiful it became.

インドの詩人タゴール、その言葉を通してセザンヌの絵画を見るとき、見えなかった輪郭がありありと浮かび上がる。難解と言われるセザンヌの絵画だが、「見る」と言う事の困難さに向き合ったとき、
あるいは「見る」ということの向こう側に思い至ったとき、セザンヌが描こうとした何かに、一瞬触れる事が出来る様な気がする。
絵を前にして感じるなにか、それが正しいとか正しくないとかは問題ではなく、
そこから何を感じるのか、その「見る」行為は無意識に眠る感覚に向き合うことでもある。

「私の意識を通してエメラルドは緑となり、ルビーは赤となる。」

その言葉がセザンヌの絵を通過してより鮮明にわたしの心に響いてくる。

ART@AGNES アグネスホテル アートフェア2009

ART@AGNES

先日、ART@AGNES 2009に行ってきました。
現代美術系の30ほどの画廊がホテルの部屋をブース代わりに使用してのユニークなアートフェアです。
毎回盛況で見て回るのが大変なのですが、今回は比較的ゆったりと見ることができました。

それぞれの画廊が趣向をこらして展示をしているので、大規模なホールなどを使ったアートフェアよりも、画廊そのものの個性が出るのが良いところではないかと思います。
その中でもARATANIURANOさんのバスルームは淺井裕介さんの作品が、個展の様に空間を覆っていて、とても楽しい展示で印象に残りました。写真はその一部でトイレットペーパーに楽しい模様が施されています、他にも浴槽に水を張ってその底に向かい側の公園の砂を薄く敷いて、指でなぞったような模様が描かれていたり、コーヒーでお皿にドローイングがされていたりしていました。
可愛らしいユーモアと、どこか民族的な遠い記憶に繋がるような感触を感じる作品でした。

その他ではWAKO WORKS OF ART政田武史さんの作品が力強くて、改めて良いなと思いました。
勝手な思い込みかですが、直感像に秀でた方なのかしら?と思いました。
テレビなどの映像メディアを通してピクセル単位に分断された光景が、記憶の中から一瞬ふと沸き上がって来て、それをそのままぱっと捕まえたようなそんな印象です。
「見る」と言う事を現代に即して捉えているのではないかと思いました。

ホテル全館を使用しての開催は今回が最後のことで、ちょっと残念ですね。

※写真は画廊の許可を頂いて掲載しています。

富士山

富士山

あけまして、おめでとうございます。

昨年の4月から始めたブログですが、毎回のようにとても個人的な感覚の話を書いて来ました。
デザインブログとしている割に、あまりデザインの話になっていないような気がすることもありますが、私たちの「感じる」ということの中に、デザインの可能性を見つめてみたいと思っています。
私たちがデザインしたいと思っているのは、表面にある色やカタチのみでなく、
その背後の感覚世界に広がる、気配や雰囲気や何となくな部分です。
何となく感じることや、なにか気配として伝わってくる、その背後にある不可視の領域。

それは、デザインとは言えないような領域なのかも知れません。
でも、なにか分からないものへと進んで行くのも悪くないのではないかと思っています。

今年も、感じたことや気になることを書き綴って行こうと思いますので、宜しくお願いします。

ところで、今年の1枚目は、箱根からの富士山にしてみました。
富士山のカタチってなんだかおめでたいですよね。

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