金木犀:香りが運ぶもの

金木犀

このところ、いつもの道を歩いていると、どこからともなく金木犀の香りが漂ってくる。
本格的な秋の到来を告げるその香りの中に、かすかに胸を締め付ける切なさを含んでいる様に感じる。
中学校の校庭に咲いていた金木犀の香りとシンクロして、その頃に感じていた気持ちが、ふと蘇るのだ。
そのように香りは、感情や記憶を鮮明に蘇らせることがある。
それは、脳の中で嗅覚を知覚する部分と感情や記憶を司る部分とが隣接して居る事に由来している。
つまり、香りが記憶や感情の回路とダイレクトに繋がっているということらしい。

また、何かの香りに惹き付けられながらも、同時にどこか切ない感情が立ち上るのは、
香りというものは留めておく事が出来ずに、僅かな時間の経過とともに
空中へと儚く消えていってしまうからではないかと思う。
そして、私たちの存在も、香りの様に留める事が出来ない時間の中に存在しているからではないか?

留まる事のない、私たちの存在そのものが、一回性の持つアウラの輝きに満ち溢れている。
香りが感情や記憶の回路と密接に結びついている背後において、
その様なことを、秘かに、そっと、私たちに伝えているような気がしてならない。

カフェイベント:chez ta soeur ご報告

chez ta soeur 展示

報告が遅くなりましたが、10/3、4とカフェイベント chez ta soeur が無事に終了しました。
chez ta soeur は フランス語で「君のお姉さんの部屋」と言う意味で、
その名の示す通りに、会場には沢山の小物やインテリアがディスプレイされて、
さながら小粋なパリジェンヌのお部屋の様になりました。

私たちは、窓辺のスペースにブログの写真と手作り本、
そして、タンポポをモチーフにしたインタラクティブ作品を展示しました。
沢山の方に作品を見ていただけて嬉しかったです。

来て下さった皆さん、参加者の皆さん、
そして、このイベントを企画してくれた、munaさん、kei さん、ありがとうございました。
とても素敵な人たちと良い時間をご一緒できて、本当に楽しいイベントになりました。

展示の詳細は、kakeru*さん、trunco さん、equalさんのブログに紹介されているので
そちらも見てみてくださいね。

味覚と感覚:あるような、ないような。

味覚と感覚

豆腐の味わいにしても、枇杷のそこはかとない甘みにしても、
梨のあるような、ないような味も、どこか捕らえどころがないように思う。

残暑の残る秋の空の下で、良く冷やした梨を頬張るときに、瑞々しさとうっすらと広がる甘み、
あるいは、あけびを口に含んだ時の、何とも言えない曖昧模糊とした味わい。
そこはかとないもの、脆いもの、儚いものを愛おしむ感性に日本的なるものを感じてしまう。
蕎麦につゆを付けずに蕎麦本来の味を楽しむのが粋とされる様に、
本来的に私たちの感覚が、微細な方向へとむかって行った背景には、
味覚が少なからず関与しているのでは無いかと思われる。

何も無いなかに、微細な変化を配置することで、空間のダイナミズムを生み出してきた茶室にしても
絵画や文学の余白や余韻を味わう美的感覚にしても、そこに有るものよりもむしろ、
ない状態や欠落していることで膨らむ想像の方に重きが置かれている。

味覚の微細性もまた、あるような、ないような、ほのかな風味を味わう事で
その感覚の領域を広げていると言えるのではないだろうか?

あるような、ないような、その境界の向こう側に、感覚の広大な未踏の地が広がっている。

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