いまは、むかしむかし。

夜道

帰り道。
ふと、空を見上げると、金星が夜空に針の先くらいの穴を開けている。
なんだか、とてもドキッとした。
金星が太陽の光を受けて、宇宙空間の中にうかんでいるのではなく、
あ、これは針で開けた穴だと、ついうっかり思ってしまった。
そこに、無限の空間が広がっている事を忘れて歩いて居る間に、地上は回転を止め、太陽が地球の周りを回り始める。
昔の人が月や星を空に開いた穴だと思ったのも、実感として自然なことだったのだろうと思う。

コペルニクスの「天球の回転について」から465年、
私たちは宇宙空間の片隅に浮かぶ自分の存在を、何処まで真摯に受け止める事が出来たのだろう?
また、知識として知ることで失われてしまった想像の中に、なにか大切なものが含まれてはいなかったのだろうか?
そして、未知なるものに対する寛容さを失わずに、世界と向き合うことができているのだろうか?

ゆっくり歩くこと

珠宝

普段、歩いている道。
私たちの知覚は世界から、いったどれだけのモノを拾っているのだろう?
1枚の木の葉に含まれる情報はきっと一生かかっても語り尽くすことは出来ない。
その様なありとあらゆるモノの中を、私たちは気付くことなく、いつも何気なく通りすぎている。
1メートルを1分かけてゆっくり移動すれば、そこにある情報の多さにめまいを起こすかもしれない。
また、葉っぱ一枚に触れた時に感じる情報だけでもきっと、とてつもなく膨大なはずだ。
その膨大な情報のほとんどが無意識の中へと静かに消え入り、あるいは知覚の外側へとこぼれ落ち、その僅かな残りの、ほんの少しだけが指先に伝わってくる。
決して私たちがつかみ取ることの出来ない世界像が、今も目の前に広がっている。

青の時間

青の時間

昼と夜の間に世界が青く染まる時間帯がある。昼でも夜でもない間(あいだ)の時間。
朝方の澄み渡る青い感じも良いが、私はどちらかと言うと夕方の「青の時間」に心が惹かれる。
今の季節なら遠くでひぐらしが鳴いているかも知れない。
家々の窓には明かりが灯り、何処からともなく夕飯の美味しそうな匂いが漂ってくる。
近くに居ながらも、出会う事のない見知らぬ誰かの存在をこんなに近くに感じるのは、夕飯の匂いのせいなのか?
そして、その存在がよりいっそうに断絶されて、その人の生活や人生と永遠に接点が無いと強く感じるのは、この世界を染めるような青色のせいなのか?

家の中の見知らぬ人の気配とは対照的に、道を歩く人はうすらぼんやりと輪郭を失い、実態の無い影のように見える。それは、人のカタチをした夜が歩いているかのようだ。
何処にも属さない青い時間の中を行く人は、どこか重力から解放された軽やかさがある。
また、この時間帯にビルの谷間を歩けば、今にも蜉蝣(かげろう)のような透明な羽を生やして
人々が紺碧の空へと飛び立つのではないかと思えてくる。

人のカタチをした夜が濃紺の空気と溶け合う時、街灯に明かりが灯り、夜がやってくる。
青の時間はいつの間にか、音もなく日常へと移行してしまっている。
そして私は、いかにもあっさりとあっけなく、人知れずに夜へと着地するのだった。

しあわせのカタチ : Kiyata女子部。 カフェイベント

Kiyata女子部。 カフェイベント

munaさんとkeiさんの「kiyata女子部。カフェイベント」にお邪魔してきました。
今回はカレー祭り、munaさんの作るカレーはスリランカ仕込みの本格派で、絶品なのです。
keiさん作るお菓子もどこか懐かしく、子供のころの理想のおやつ像がそこにありました。
そして和やかでくつろげる雰囲気がなにより嬉しく、ついつい長いしてしまい7時半にお店に着いたのに、ふと時計をみると11時近くでした。こんな居場所があるのはなんだか、いいなぁと改めて思いました。日常の中に小さな小さな、しあわせのカタチを見つけた様な気分です。

今後どんな風にこのカフェイベントが展開して行くのかが楽しみです。
カフェという空間が人と人を繋いで、そこから、何が生まれてくるのか?
ここにも小さなコミュニティーの芽生えを見る事ができます。
緩やかな有機的な繋がり、明確な目的を持たない曖昧さがサロンやカフェのコミュニティーの
魅力なのかもしれません。固い結束や体制がつくりだすのとは別次元の、より複雑で動的な繋がりの中にも、コミュニティーが持つ可能性を見る事ができるのではないかと思います。

毎月開催されるので、是非足を運んでみてください。
equalさんのおしゃれな帽子とkiyata君のクラフト作品も販売しています。

上の写真はkeiさん手作りのクッキーです。

地域とデザインについて:倉式

倉式

倉敷の友人から 雑誌「倉式」vol.03 が届きました。
倉式」は岡山の倉敷を震源地にクリエーターが集って
「モノづくりの力でまちを元気にする」をテーマに展示イベントや出版などを展開しています。
活動エリアも岡山から福山、津山、香川へとネットワークを広げているそうです。

インターネットが発達して遠くの誰とでも繋がることが出来る様になったのに
それとは裏腹に人と人の繋がりがどんどん希薄になってきている現代。
そんな中にあって、地域を通して人と人が再び繋がりを回復し始めている様です。
例えばそれは、みんなが一つの何かに取り組むムーブメントであったり、
イベントやワークショップ、サロンなど、地域の活性化を計る試みがあちこちで展開されています。
人が集まることで生まれる知恵やエネルギーで現代の閉塞感を突き崩そうとしているかの様です。
東京ではシブヤ大学IID 世田谷ものづくり学校東京自由大学の様な学校形式のものから、オルタナティブスペースなどギャラリーとしての活動や、様々なコミュニティーが形づくられています。

その様な繋がりの回復が図られる中に置いて、デザインやアートなどのクリエイティビティーが
重要な役割を果たしていることが多く見受けられます。

デザイナーはモノをキレイにカタチ作ったり、整理するだけでなく、
人と人の繋がりの仕組みを作り、活性化させて行く大きな原動力として機能しはじめています。
元々デザイナーは企業と消費者を繋ぐ役割を果たして来ていましたが、環境と人を繋いだり、地域と人を繋いだり、という様により社会性をもった役割に変わって来ているのだと言えます。

今後、デザイナーやアーティストが社会の中でより重要な役割を担って行く事になるのではないでしょうか。

everyday life

everyday life

何気なく、普段、過ごしている日常。
誰かとしゃべったり、ごはんを食べたり、電車に乗ったり、仕事をしたり
毎日の何気ない仕草や言葉、今さら説明をしなくても分かること。
社会の仕組みや常識や習慣、世間での出来事など、
長い時間をかけて、積み上げられて来たそれらのモノやコト。

でも、一歩その世界の外に出れば、それらは常識として通じなくなってしまう。
旅行で別の国へ行ったときのことを思い出せば、思い当たることがいくらでもある。

しかし、地理的に移動しなくても
今、ここの目に映る世界の外側に不可視の世界は広がっている。
わたしたちが慣れ親しんでいる世界も、少し見方を変えるだけで
今まで想像もしなかった世界が広がっていることに気づかさせる。
物質的、科学的にその不可視をみるだけでなく、認識的、感覚的に世界の外側に触れる。

今、此処この場所、world of everyday life の向こう側に広がる世界。
見慣れた日常の傍らに広がる世界が、今も私たちに見過ごされてそこにある。
その、声もなく、名前もないままの感触に静かに寄り添ってみたい。

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