影:マージナルな辺縁
時に影は、実体以上になにか迫りくるものを伝えていることがあり、
その独特な存在感は、心の奥深くに眠っている何かに訴えかける力がある様に感じる。
その様に影を見るときに、私たちはそこに本当はなにを見ているのだろう?
そこには、一体なにが潜んでいるのだろうか?
小さな子供が、自分の影の存在に気が付いたときに、どこまでも付いて来て離れることのない影に怯え、泣き出してしまうことが、ままあるそうだ。
それは、ただ単に未分化な知覚が、自身のボディーイメージに影を結びつけていないと言う、それだけのことではない様に思える。そのとき、そこに何を見ているのか? そこには明らかに、影の中に潜んでいる、他者性が見え隠れしている。
物質の延長としての影。実体を通り越した、物の際(きわ)がそこにある。
際(きわ)とは境目にあり、あちらとこちらの両方に触れている境界のことだ。
つまり、実体を持たない影はあちらでも、こちらでもない、間(あいだ)の領域に存在していることになる。
そのどちらともつかない、あやふやで微妙な、そのあり方そのものが、
どことなく怪しく漂う異界性へと繋がっているのではないだろうか?
そして、普段、気にしていないけれど、私たちはひとりづつ、一つの影を抱えて暮らしている。
影は何処でもない間(あいだ)の領域から、私たちをマージナルな辺縁へと静かに誘っているのだ。
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