日曜日、午後4時半、四谷ひろば

四谷ひろば

日曜日、午後4時半。蒸し暑い夕方にcokiyuさんと妻と3人でギャラリーの下見に四谷ひろばへ向った。なにも展示が無い日だったので、空っぽの空間がイメージをほのかに刺激してくる様だった。
100年分の建物の記憶が、壁の傷や、空気の重み、すり減った柱の角などに宿って居る。
がらんとした空間にセミの声や、換気扇の音、湿った空気、反響する足音など、それらの質感が強く感じられる。なにも無いことがかえって空間の情報を雄弁に語りかけてくる。
本来ホワイトキューブのギャラリー空間は何も無い事を前提にして、作品が空間を埋めるものなのだが、なにも無いままに外の世界を「遠い声」として聴くことで開かれて行く感覚もあると思った。

cokiyuさんが響きを確かめる為に空間に向って歌う様にそっと声を発すると、空間の表情ががらりと変化する。その周りの空気だけが白さを増したような、涼しい風か吹き込んだような気がした。
ほんの短い時間でしたが、なんとも印象に残る瞬間。空間の記憶と今この瞬間が空気の振動の中で交差したようだった。

暑い中だったけれど、足を運んだ甲斐がありました。

トヨダヒトシ:in 四谷ひろば

トヨダヒトシ

旧四谷第四小学校 (四谷ひろば) の校庭でトヨダヒトシ氏の写真作品のスライドショーが行われた。
目に見えない何かに引き寄せられる様にして、偶然手に取ったチラシが今回のスライドショー告知だった。手にした瞬間「あっ」と思った、手の中で偶然が必然に変わる瞬間。

現れては消えて行く日常を印画紙に定着させることに違和感を覚えて、
今のスライドショーのスタイルを取っているという。

校庭に設けられた、巨大なスクリーンに淡々と写真が映し出されては消えて行く。
見たものがそのままにそこにある様だった。それは消えて行くことを眺める様な体験でもあった。
はっとする景色も、ごくありふれた日常の1シーンも、すべてが同等に等価に扱われ、
そして同等に過ぎ去り、決して手の届かない場所へと皆一様に消え去って行く。
私たちは、その様な中に居るのだと、そして、あらゆる瞬間が私そのものをカタチづくっている。
ほおずきの種も、猫も、特別な一日も、そうじゃない日も、見知らぬ誰かも、いつもの道も、
そして、写真に撮ったことも、撮れなかったことも、撮らなかったことも、
過ぎ去る一瞬一瞬すべてが私そのものなのだと、、、。

絶対的に過ぎ去る現在を意識することは、ある種の痛みを伴う。
でも、きっとまた観るだろうと思った。

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