内藤礼:すべて動物は、世界の内にちょうど水の中に水があるように存在している

rei-naito

鎌倉の神奈川県立近代美術館へ内藤礼さんの作品を観るために行ってきました。
会場である鎌倉館は鶴岡八幡宮の境内にあり、1951年に作られた日本のモダニズム建築を代表する
建造物です。立地と言い、歴史と言い、その空間でどんな作品に出会えるか、半年ほど前から
ずっと楽しみにしていました。

内藤さんの作品は、見た目は繊細で儚い印象があるけれど、その作品が内包する触発力には
観る(体験する)人の認識を揺るがすような強い意思の力を感じます。
しかし、同時にそれらは作品なのか判別のつかない微細性を通して、
私達の想像を越えた場を作り出しているために、それらを受け止める事が出来ずに
見過ごして、通り過ぎてしまう様な不確かさの中にあります。
それらは、そもそもそこに物質として存在して居ない可能性もあります。

果たして、私は一体そこで、何を見ようとしているでしょうか?
ある種の肯定的な思い込みを携えて、祈る様な心持ちで展示室の扉を開けると
薄暗い空間に点在する光を目にしました。
がらんとした空間を満たす虚ろな光の中で、展示ケースに陳列され物体は
果たしてどのような役目を持ち、その場に置かれているのか?
物体はただ空虚にそこに置かれたモノとして有るだけで、何かを伝えてくる気配がありません。
肝心の何かを掴むことが出来ずに、私は、薄暗い空間の中で、思わず途方にくれてしまいました。
祈る様な心持ちは時間とともに、すこしづつ薄れて闇に紛れて行く様でした。

しかし、その光の満ちた通路に足を踏み入れた瞬間、すべてが一つの大きな物語として、
そこに立ち上がる気配の連なりとして、それらの一端をはっきりと感じる事ができました。

その時、私たちはそこに有りながら、もう一つの存在としての私に出会うことになるのです。


内藤礼
すべて動物は、世界の内にちょうど水の中に水があるように存在している
神奈川県立近代美術館 鎌倉
2009年11月14日~2010年1月24日まで

関連記事:内藤礼、佐久島、舟送り

内藤礼、佐久島、舟送り

内藤礼 返礼 舟送り

2006年の初冬に佐久島で行われた内藤礼さんの「舟送り」に参加した。
内藤さんの作品は見る(感じる)事がとても困難で、じっくりと作品と向き合わないと、
そこには本当に何も見る事すら出来ない。
実際に、ギャラリー小柳で「舟送り」の小さな土の舟を最初に見たときは、
何かを感じる事ができなかった。
だからこそ、わざわざ佐久島まで出かけてみようと思った。(遠かったなぁ、しかも日帰りで。。)

佐久島の弁天ギャラリーの二階で内藤さんから直接、親指の先くらいの小さな土の舟を手渡される。
土の舟には貝染めされた仄かな紫色の糸が結ばれている。
それを手に皆で海辺まで5分ほどの道のりを歩く。
手の中で小さな舟は頼りなく、壊れてしまいそうなので
そっと、そっと手の上にのせて包み込むようにして運んで行く。

手の中の舟を私が運んでいるいるのか、私が小さな舟に運ばれているのか、
なんだか不思議な心持ちがしてくる。
私という小さな存在も、この小さな舟のように何かに運ばれているのかもしない。
その時、小さな舟は私の魂を乗せる小さな器として私の手の上にあった。
そして、私の身体もこの小さな土の舟と同じだなぁと思った。
結ばれた糸を解き、海の波間に、土の舟を返す。一瞬で波にさらわれ、
何処とも知れぬ彼方の場所へと消えてゆく。

静かに、厳かな雰囲気のなかで50個の土の舟がそれぞれの手の中から海に返される。
その後一人づつ「タマ/アニマ(わたしに息を吹きかけてください)」という海辺に突き出す様に細長く、海水の入った作品に向かって息を吹きかけると、水平線と同じ高さに張られた海水は波となり海に向かって静かに向こう側へと溶けて行った。

確かな何かが分かる訳ではないが、何かを私の中で深く感じる事が出来た様な気がする。
その何かは上手く、言葉にはならないし、きっと言葉の外側にある何かだ。
そして、その言葉にならない何かが作品だとしたら、
在るのか無いのか分からないような何かに寄り添うしかない。それは祈りとよく似ている。
内藤礼の作品は強度と同時に困難さを内包して奇跡の様にそこにある。

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